録音機を止めるな!——法廷録音に関する雑考
Introduction
2022年の暮れから、法廷内で弁護人が審理を録音してはいけないのか、という議論が沸き起こっています。
本稿では、審理中の法廷内において訴訟当事者またはその代理人(以下「当事者等」といいます。)が審理を録音する行為に関する主なトピックスを採り上げたのちに、Q&A方式で私見を簡潔に記していきます。あくまで雑感的な文章なので*1、法律論を期待される方には上掲記事をお勧めします。
Rules
(公判廷の写真撮影等の制限)
第二百十五条 公判廷における写真の撮影、録音又は放送は、裁判所の許可を得なければ、これをすることができない。但し、特別の定のある場合は、この限りでない。
——刑事訴訟規則
(写真の撮影等の制限)
第七十七条 民事訴訟に関する手続の期日における写真の撮影、速記、録音、録画又は放送は、裁判長、受命裁判官又は受託裁判官の許可を得なければすることができない。(略)
——民事訴訟規則
Chronological order
2022年12月5日 法廷での録音許可を求めた国選弁護人が、裁判所から解任される
2023年5月30日 法廷での録音を試みた弁護人が、退廷命令違反で拘束・制裁を受ける
2023年6月29日 少年審判の録音をした国選付添人が、家裁所長から懲戒請求をされる
2023年7月5日 公判中の音声が、何者かにTwitterの「スペース」で中継される
2023年8月8日 氏名不詳の公判中継者が、地裁から告訴される
(気が向けば更新する予定)
The main subject
Q1 なぜ録音したいのか
審理の過程を正確に再現するためです。
以下の記事にもあるように、裁判所の期日調書(審理を記録した文書)は内容が正確であるとは限らないのです。特に、裁判官が不適切な発言をしたとき、それを根拠に何らかの主張を展開しようとしても、調書に記載がなければ立証は困難を極めるでしょう。
Q2 録音は審理を妨げないのか、また訴訟関係者への威圧にならないのか
妨げないと考えられます。筆記時の音すらも審理の妨げとならないのに、音を立てずに録音する行為が審理を妨げるという事態は、非常に考え難いです(審理を妨げる録音といえば、せいぜいが、複数人で録音機を殊更に掲げるなどといったパフォーマンスくらいではないでしょうか。)。
そもそも、審理は裁判所によって録音されています。裁判所は、自己の録音行為は正当とし、あくまで他者の録音行為のみを問題視しているのです。
そして、既に裁判所が録音しているうえに公開の場である以上、重ねて当事者等が録音したとしても、訴訟関係者への威圧になる(威圧が強まる)とは通常考え難いところです。それとも、「これから話すことを裁判所に録音されようが有象無象の傍聴人に聞かれようが構わないけど、当事者等に録音されるのは嫌だな」と考えるのは合理的/一般的でしょうか。仮に、具体的な事案において当事者等による録音を忌避するのが合理的であったとしても、いまは一定の条件下で被害者・証人等の氏名等を秘匿したまま審理を進められる制度もあるのですから、まずはそちらを柔軟に運用することで解決を図るべきでしょう。
なお、訴訟関係者の中でも特に権利保障の重要度が高いのは被告人であり、裁判の公開は被告人の権利保障を厚くするための制度であることに留意されたいです。
Q3 録音データには固有のプライバシー情報が含まれないか、またそれを公表する者が現れないか
期日調書に記載されず録音データにのみ含まれる情報として、声紋が挙げられます。また、肉声そのものに付随する情報(ex. 声や話し方の特徴)も録音データに固有のプライバシー情報といえるでしょう。
しかし、Q2でも触れたとおり、審理は公開されているのです。街中では肉声による会話がいくらでも繰り広げられていますが、では、街頭に立ってそれを録音する行為を誰が咎められるでしょうか。換言すれば、録音が禁じられている空間を公開の場と呼べるのでしょうか。
それに、録音データの無闇な公表は認められるべきではないとしても、録音行為と公表行為はあくまでも別個の行為です。公表を認めるべきでないことは、録音を認めるべきでないことを必ずしも意味しません。それでも、不法行為法等既存の法令のみでは公表を防止できないのであれば、録音を規制するのもやむを得ないでしょうが、だからといって全面的に禁止するのではなく、条件付きで録音を許可するなどのより規制的でない代替手段が検討されるべきです(もっとも、ここは立法による手当が最も望ましいかと思われます。現に、刑事事件の証拠の複製等は目的外の交付等が処罰される仕組みとなっています〔刑事訴訟法281条の5〕。)。
Q4(番外編) 傍聴人の録音・公表が認められた場合に、録音データの正確性(信頼性)は担保されるのか——たとえば、発言を改竄されたり、編集によるニュアンスの変容が生じたりしないか。
たしかに、発言の改竄によって証拠偽造罪等が成立するとも限りませんし、正確性(信頼性)を担保するものは現状ほぼないといえそうです。しかし、それはメモも同じではないでしょうか。
現状でも、いわゆる傍聴マニアの方などが、ブログや漫画などで審理の過程を公表しています。ネタにするコメディアンすらいます。そこで発言が改竄されておらず、また遺漏もなく、ニュアンスも一切歪曲されていないかといえば、そんなことはないでしょう。どれほど集中して聴いていても、審理は数時間にわたるのが通常ですから、書き留めきれない発言、憶えきれない出来事は当然あります。そこを記憶と想像で補ってしまう人がいないとも限りません。また、聴き間違いや書き間違い、発言の意図の誤った解釈なども、人間である以上あり得ます。このように、知覚・記憶(・表現・叙述)の各過程に誤りが混入しうるにも拘わらず、裁判所はメモの採取を認めているのです。
翻って、録音はどうでしょうか。録音機が故障でもしていなければ、機械は錯誤に陥らないのですから、審理は正確無比に記録されます。録り方次第では音声が不鮮明になってしまう箇所があるかもしれませんが、不鮮明な箇所に手を加えられていなければ、メモを基に書かれたブログ記事などよりはよほど信頼が置けるでしょう。発言の改竄についても、メモほどは容易でないといえるはずです。
データの正確性(信頼性)を問題とするのであれば、より不正確になるメモを認めながら録音を認めないのは不合理です。
Conclusion
結局のところ、「メモが認められるなら、より弊害の少ない録音も認めるべき(ただし、公表の弊害を加味して条件を付してもよい)」「被害者・証人等の保護の重要度が高い事件でも、録音の禁止以外に保護の手段がない場合でなければ禁止するべきでない」ということに尽きます。
いたって常識的なことしか書いていない気もしますが、↓こういう↓事情なので、ご容赦ください。